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Re[40]: プラグインハイブリッドではないですが。
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□投稿者/ 庄太郎 17回-(2006/07/13(木) 01:55:34) [ID:lvHJf1oF] プリウスNHW-20型
| RZさん こんばんは
>しかし保証があるかというと、それは細部に至る定量的な理論と再現性ある実験を行って証明することができない事項なので、本来意味のない問いです。
これは私自身の文章であり、その中で完結しています。すなわち、保証があるかという(私自身の)問いに対して、本来意味の無い問いであると結んでいるのです。
そしてもちろんこれは、RZさんが先に出された「所謂CO2排出削減で、温暖化(気象変動)を防げる保証は、どこにもない。」という問題提起に対して、そのような問題提起は妥当ではないと述べているのに他ならないのです。そこまで説明しなければわかりませんか?それとも揚げ足取りですか?
さて本題ですが、
>本当に環境保護目的で課税するなら・・・量産品です。大量生産、大量消費を支えているのは、大量生産品とそれを消費する一般市民ですからね。 量産品を多く使う人程、税負担を大きくします。 車なら、カレラGTではなくカローラに課税するんですよ。狙いは量産効果を出しにくくして、大規模な生産設備投資のリスクを上げること。
私にはよくわからない論理です。例えば私なら、
贅沢税: 払える人(富裕層)により多く払ってもらう。すなわち、安いカローラではなく、高価なカレラGT(ポルシェでしたっけ)に課税する。あるいは、一家に1台目の車ではなく、2台目の車に課税する(必要度を考慮すべきでしょうが)。
環境保護税: 環境負荷の大きい商品に課税する。車であれば、生産時コストの高い車、燃費の悪い車、あるいは、排ガス排出の多い車に課税する(この場合も多分、カレラGTの方が高い課税額になるでしょう)
なぜ大量生産・大量消費が良くないか: 他にも理由はいくつか挙げられますが、まず第1には、必要とする以上に消費するからでしょう。必要以上の需要を生み出すからとも言えます。必要以上の消費は環境負荷でしかない。一方、地球上の人口を支えるのに必要な食料・耐久消費財の生産そのものを(それがいかに効率的な大量生産であれ)悪とすることはない。そこで適正な必要レベルがどの程度かを問うべきである。また適正なレベルの範囲でより多くの人が、豊かな暮らしを求めるのも妥当なことである。これからは持続可能性を目標として、どこにバランスを求めるかが問題となる(エコロジカルフットプリント)。などと考えます。また、
適正なレベルを考えて、自動車の総量規制、公共交通の利用拡大、車の共有(カーシェアリング)やレンタルの促進などを目標として、車の新規・追加の購入・保有や短期の買い換えに対する課税拡大を認めても良いと思いますが、その場合も、カレラGTではなくカローラに課税というのは、理解できない論理です。
それともRZさんは、格差社会を容認されている、またはそれを推進されているのでしょうか?1握りの富裕層のカレラGTは容認するが、多数の庶民が所有するカローラは大量であるがゆえに容認できない?
それともそもそも車は悪(環境負荷が高い、危険であるなどの理由?)であるがゆえに、一部の富裕層のみ所有を認めて、庶民には認めるべきではないとか、考えておられるのでしょうか?(この場合も富裕層は、特権を持つのでしょうか?)
それとも少量生産であり、職人技の粋でもあるカレラGTは(カーマニアにとって)好ましいが、大量生産品(であると同時に庶民の足であるところ)のカローラは好ましくないとかですか?私には理解できません。
結局のところ私はRZさんに対して、RZさん自身が結んでおられるように、「だから私にとって環境保護論は、適当にやっとけばいい程度のものでしかない訳です」以上の理解はできません。
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