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旧常陸人です(現HNは"プリじーば"に改名していますが)、
九州ドライブ旅行から10/31(土)に無事帰宅できましたので、皆様にご心配をおかけしたお詫びも兼ねて、下記にて燃費中心に報告いたします。
1)走行条件とデータの採取:
■予め、走行ルートを設定し、途中休憩する各SAでの到着・出発時間を全て設定した工程表をエクセルシートで作成しておきました。
この工程表の作成には、NEXCOの全国高速料金・ルート検索[ドラぷら]のドライブプランデータがたいへん役に立ちましたので下記にURLを記しておきます。
h ttp://www.driveplaza.com/
■(金)早朝5時出発、途中の各SAでは休憩(15〜45分)を必ず取り、予め準備していたエクセルシートに発着時間・距離・車速・平均燃費等を記録していきました。
■距離・車速・燃費データは、車のトリップA(各区間データ)とトリップB(片道全区間データ)の各データを利用しました。
■乗車人員1名、エアコン26゜C常時設定、宿泊は往路プリウスホテル一泊(南条SA)と 旅籠屋泊(壇ノ浦PA) の計2泊とし、帰省先に(日)AM11時頃に無事到着。
■復路は、(金)早朝6時に九州の現地を出発し、若狭舞鶴道の舞鶴PAにPM6時前に到着、プリウスホテル一泊のみで無事自宅に帰着((土)PM6時)しましたが、舞鶴PAは(土)早朝1時に再出発しました。
■特にエコ運転には徹セズに流れに乗ったスピードで走りましたが、1車線で80Km/Hr制限速度の場合はプリウスメータ読み90km/Hr弱で走るも、後車から急かされる状態となりました、どうも他車はプリウスのメータ読みで95〜100km/Hrで流しているようでした。プリウスのスピードメータ表示は10%以上高く表示されているのではないかと思ったことでした。
■すいすい流れている高速道では、クルコンを多用しました。又北陸道・中国道は流れがよく、中でも北陸道の走りやすさと景観は抜群でした。
山陽道は直線で道幅も広いがトンネルが多く、私としてはトンネル内の運転に気を使う必要から中国道(カーブの多い山道)の方が走りやすく感じました。
■高速料金は、往復計4000¥で済みました(一旦国道27号線に出たため)。
2)往路:
■常磐道→磐越道→北陸道→国道27号線→若狭舞鶴道→[中国道]→九州道→大分道
●全走行区間燃費データ:
(距離 / 総平均車速 / 総平均燃費) 1503(Km) / 77.0(Km/Hr) / 24.9(Km/L)
●区間最高燃費データ:
[中国道・鹿野SA→美東SA] 55.6 / 79.0 / 28.7
●区間最低燃費データ:
[北陸道・有磯海SA→小矢部川SA] 58.2 / 99.0 / 21.7
注)最高/最低ともデータ各一個外した値
3)復路:
■大分道→九州道→[山陽道]→若狭舞鶴道→国道27号線→北陸道→磐越道→常磐道
●全走行区間燃費データ:
(距離 / 総平均車速 / 総平均燃費) 1488(Km) / 78.0(Km/Hr) / 24.4(Km/L)
●区間最高燃費データ:
[北陸道・米山SA→磐越道・阿賀野川SA] 121.6 / 79.0 / 28.2
●区間最低燃費データ:
[北陸道・尼御前SA→徳光PA] 27.6 / 98.0 / 17.6
4)略同一区間での燃費比較:
●中国道[加西SA→美東SA間] : 山陽道[佐波川SA→三木SA間]
409.9 / 83.6 / 25.2 : 381.5 / 81.2 / 25.6
●北陸道[米山SA→敦賀IC 間]: 北陸道[敦賀IC→米山SA 間]
339.9 / 81.3 / 25.0 : 337.5 / 85.1 / 23.9
( 同一区間で距離が違うのは、SA寄り回数が異なるためです)
5)その他の話題:
●高校卒50周年記念同窓会では最後の万歳三唱の音頭とりを指名され、冒頭に今話題になっているプリウスで遠路はるばる参加したこと、又プリウスの優れた省燃費性をPRしておきました。
尚、かつての マドンナと白馬の王子様 達の懐かしい会話で盛り上がり盛会でした、又2年後に古希祝記念の全国同窓会が行われることになりました。
●道中のトピックとしては、若狭道をAM2時頃走っていたところ、道の真ん中に動物がヘッドライトに浮かび上がってきまして、ハイビームにしたところそれは鹿でした。 後車があったので、急ブレーキは掛けずにホーンを鳴らしながら減速したところ、自車の数M前を対向車線側に逃げてくれて、山の方に戻ってくれました。
●九州に滞在中に、どなたからか推奨していただいていた[知覧]を見学しようか と計画しましたが、なにしろ実家から遠く日帰りは難しいのであきらめていましたが、実家の隣町に[筑前町立太刀洗平和記念館]がこの10月に開館しており、代わりにこちらを見学してきました。
ここは、戦時中東洋一の陸軍の飛行場・飛行訓練学校があった所ですが、終戦直前にB29爆撃機74機の襲来で壊滅的な破壊を受け、民間学童も40数名犠牲となった悲劇の場所でした。
知覧他全国の特攻隊員もここから出征していったとのことで、特攻隊関連の資料もたくさんありましたし、零式艦上戦闘機と九十七式戦闘機の実物修復機も展示されていますので、航空ファンの方を含め、九州北部にお住まいの方に特にお奨めいたします。 h ttp://tachiarai-heiwa.jp
以上です。
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