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Re[15]: フェラーリとハイブリッド
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□投稿者/ 庄太郎 7回-(2005/12/19(月) 18:31:14) [ID:lvHJf1oF] プリウスNHW-20型
| 2005/12/19(月) 19:08:05 編集(投稿者)
RZさん(12/15) >(今日の、ハイブリッド、ディーゼルに注目が集まる原因について) >そもそもCO2排出による地球温暖化説、原油の枯渇も、元は仮説から始まってる、あくまで>可能性の話ですよね?いつの間にか確定してるような話になってますけど。 >数ある仮説の中から、政治的、経済的に都合のいい仮説を主流にしてるだけで、作り手、買い>手、とも全てが迎合する必要はないと思いますね。 >
RZさん(12/16) >私が言いたいのは、“燃費が悪い=CO2の排出量が多い”というのが >商品価値の上で必ずしも問題とはならないということです。 > >ハイブリッドやディーゼルの機能(性質)が、必ずしも商品価値にプラスになるわけではない>と。
<中略>
>CO2排出による地球温暖化が、“全人類共通”の問題・・・ではないですから >そういった人達をターゲットに出来る商品を展開できれば、ハイブリッド化は必要なく、その>点でスポーツカーは、ターゲットも絞りやすいと思いますね。
vincent@横浜さん(12/16) >自動車による、地球温暖化は、それほど意識する必要はないと思います。確実に因果関係があ>るのなら、自動車保有制限などを打ち出しても良いとおもうのですがね。 >実際、私なんかは駅から徒歩数分のところに住んでいて、近くに電車の駅2つ、バス停5個>あるので車はいらないのですが。 >ハイブリッドの議論はなんとなくそういう議論ではないような気がします。 >乗って楽しい、燃費がいい、車で人気があるというだけで、環境は建前のような気がします。 >
以下が、私(庄太郎)の意見です.
現代経済社会の有り様を肯定的のとらえると,上記は至極当然の意見のように思います.でもそれだけで充分でしょうか?
たしかに「大気中のCO2増加による地球温暖化」とは、「確定した事実」ではありません。現代の科学・技術の発達によって過去から現在までの気象変動の精密な解析や未来予測がある程度可能になってきたことにより、頻繁に使われるようになってきた言葉です。その意味では「可能性」に近いと思います。また、人間の行為によらない自然界の気候変動と人間の行為による「地球温暖化」との厳密な区別やその境界線も不確定のままです。
一方で、科学技術や社会系学問の方法を用いて、未来社会の具体的な有り様を予測するという考え方は、人類の歴史にとって極めて新しい概念なので、そのことをもとにして、持続可能な社会を生み出していくということは、抽象的な考え方としては受け入れられているようでも、現実的な対処については、社会全体としての合意や対策が充分取られているとは言い難い現状だと思います。
しかし、未来予測の妥当性あるいは必要性が受け入れられれば、「持続可能な社会」というのは、「全人類共通”の問題」であるとともに、「全人類にとって最重要の問題」であることはいうまでもないと思います。(滅びてしまえば、何を言っても意味がない)。今まさに必要とされているのは、そのような価値観の転換であり、「持続可能な社会」を具体的に可能にする経済構造・社会構造の構築です。
例えば、化石燃料やその他の資源の大量消費が、大気汚染・海洋汚染・陸圏汚染、すなわち人類にとっての生存環境の悪化を引き起こし、「持続可能な社会」を脅かしていることは、「疑いのない事実」だと思いますが、如何でしょう?
従って「地球温暖化」の妥当性は、狭義にとらえるのではなく、未来に向けて人類の最重要課題である「持続可能な社会の構築」ための一要素としてとらえるべきではないでしょうか?その点を理解して頂ければ、これからの社会にとって、どのようなタイプの車の開発・供給・利用が重要であるかということも自ずと決まるはずです。
そこでは、20世紀的価値観に基づく「フェラーリ的な車」、「アストンマーチン的な車」や「運転して楽しいパソコンカーのプリウス」などはもはや関係ないのだと思います(但し、未来的価値観への「呼び水」、「誘導」としての「高性能」、(CM風にいえば)「走る喜び」などはあっても良いと思いますが、、、)。
この小文は、趣味としての車を論じているのではありませんし、そのような論議を否定するつもりは毛頭ない点をご了解ください。
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